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小林明子 「恋におちて」

この曲はドラマ放映より1年も前に当時音楽制作会社に勤務していた小林明子がある歌手のために作曲したが、その歌手が引退してしまった。しばらくして偶然にドラマ関係者の耳に入り、湯川れい子が詞をつけ、歌手を誰にしようかと検討したところ、デモテープ用に歌った声がいい、と作曲者自身が歌うことになった、累計ではミリオンセラーを記録。                           投稿者 spyagent0011さん有難うございました

大沢誉志幸 「そして僕は途方に暮れる 」

大沢の話によると、元々この曲は鈴木雅之に提供する目的で作られたものだった。大沢と鈴木のお互いのマネージャーが懇意であるつながりから作られた曲だったが、鈴木がこの曲を歌う気配が一向に無かったため、一度大沢の元に曲が戻され、後にプロデューサーに「今空いている曲は無いか」と尋ねられたことから、この曲を引き出して大沢自身が歌うことになった。
数多くのアーティストにカバーされたヒット曲である。

チェッカーズ「ジュリアに傷心 」

オリコンチャートの売上枚数において、チェッカーズとしては同曲が最大のヒット曲となる。また、1985年度の年間オリコンチャートでも第1位を獲得した。オリコン発表の売上枚数は70.3万枚。
武内享が解散後、元々この曲は「傷だらけのイエスタディ」というタイトルで歌詞も全く違っており、武内自身は元曲の方がかっこよくて好きだったことを明かしている。

菊池桃子「 卒業 」

菊池桃子自身、シングルでは初めてのスロー・バラード曲。また自身主演で同名のドラマも制作された。
同曲でオリコンチャート初の首位を獲得。また40万枚近いセールスを記録し、菊池自身最大のヒット曲となった。

五木ひろし 「そして めぐり逢い 」

1985年、「そして…めぐり逢い」は最高位12位、登場週数38週、25万枚を超える売上げを記録。第4回メガロポリス歌謡祭演歌大賞を2回目の受賞。「第11回日本演歌大賞を3回目の受賞。第14回FNS歌謡祭音楽大賞最優秀視聴者賞を受賞。第16回日本歌謡大賞優秀放送音楽賞を6年連続11回目の受賞(通算では歴代単独第1位、連続では沢田研二と並び歴代第1位)。第16回日本歌謡大賞最優秀放送音楽賞を受賞。第27回日本レコード大賞金賞を7年連続7回目の受賞。



≪1985年(昭和60年)出来事=後期≫

10/07 テレビ朝日系「ニュースステーション」放送開始。
10/16 女子中学生のもやらせ、リンチ放映でテレビ朝日ディレクターを逮捕。
11/20 プロ野球ドラフト会議で桑田は巨人、清原は西武が交渉権獲得。
10/29 日本書記の原資料とみられる木簡1082点が奈良県明日香村で発掘。
11/15 10月の総合卸売物価指数、35年以来最大の下落。
11/29 国鉄民営化・分割反対を支援、中核派が国鉄各線で信号ケーブル切断などゲリラ行動を同時多発。首都圏と大阪の国電全面マヒ。
12/28 第2次中曽根改造内閣発足。

●世相 ファミコンブーム/全国小・中学校で「いじめ」横行/阪神タイガース21年ぶりに優勝、トラフィーバー/激辛ブーム/テレフォンカード/キン肉マン消しゴム大流行

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