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中森明菜「飾りじゃないのよ涙は」

11月には井上陽水から楽曲提供を受けた10枚目のシングル「飾りじゃないのよ涙は」をリリース。アイドルからシンガー、ミュージシャンへの転機となったこの楽曲は、1985年の同社年間チャートで6位を記録した。  

「 悲しみにさよなら」

初期のバンドメンバー・進藤による命名という。他案に『危険地帯』も候補に上ったが、「ロック=危険(な音楽)」というイメージを連想させることが平凡なため、採用しなかった。11月、玉置一芳(玉置の兄、ドラム)、宮下隆宏(ベース)が参加した。レッド・ツェッペリンに憧れていた玉置一芳の影響でロックに傾倒する。

おニャン子クラブ「 セーラー服を脱がさないで」

発売日前日の1985年7月4日、当時のアイドルのイベント場所のメッカ、池袋サンシャインシティ・アルパ噴水広場にて、この曲の発表会&握手会を予定していたが、当初予想された500人を大幅に上回る4000人のファンが駆けつけた為、おニャン子メンバーが怖がってしまい、また現場の混乱をおそれてやむなく中止した[要出典]。しかし、この一件がおニャン子クラブのブームが初めて現れた事例として、つとに有名な話となった。

TOM CAT 「ふられ気分でRock'n Roll」

コンテスト自体が終了を迎える直前の「第28回ヤマハポピュラーソングコンテストつま恋本選会」でグランプリを受賞し、その後進んだ「第15回世界歌謡祭」でも続けてグランプリを受賞した。
サウンド的には、イエロー・マジック・オーケストラの登場とともに1980年代を象徴するジャンルのひとつとなった、テクノ歌謡である。

吉幾三「俺ら東京さ行ぐだ」

この曲がラジオで流れたところ人気が急上昇し、生放送の番組である『ザ・ベストテン』(TBS系列)の「今週のスポットライト」コーナーに登場することになったが、本人が緊張のあまり途中で歌えなくなってしまい、再度歌い直すというハプニングが起きた。本番中に本物の牛を演出のためにスタジオに持ち込み、エンディングの絶妙なタイミングでこの牛が鳴いている。            投稿者 sfgk1さん有難うございました


≪1985年(昭和60年)出来事=前期≫

01/09 東京両国の新国技館落成。
01/26 広域暴力団山口組の竹中正久組長ら3人短銃で撃たれ死亡、一和会と抗争激化。
02/07 自民党田中派の竹下蔵相を中心とする「創政会」初会合。
02/27 「かい人21面相」森永へ終結宣言。
02/27 田中角栄元首相、脳こう塞で倒れ入院。
08/16 「科学万博-つくば’85」開会式。
04/01 日本電信電話株式会社(NTT)、日本たばこ産業株式会社発足。
04/01 フジテレビ系「夕やけニャンニャン」放送開始。




      【リクエスト曲♪】
鈴木ヒロミツ「モービル石油 - 旅立ち編 」

ザ・モップスが1974年に解散して以降、俳優・タレントとして活躍。1971年に放映されたモービル石油のCM「のんびり行こうよ」編ではガス欠のクラシックカーを押す青年の役を演じ、昭和の名CMの一つとなった。


  高杉さんリクエスト 有難うございました  m(__)m   
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