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安全地帯 「ワインレッドの心 」

表題曲「ワインレッドの心」は、サントリー「赤玉パンチ」CMイメージソング、またフジテレビ系・ナショナル木曜劇場ドラマ「間違いだらけの夫選び」エンディングテーマとして使われた。オリコンでは初の1位獲得となり、翌年1984年の年間チャート2位に輝いた。売上枚数は71.4万枚。安全地帯の代表曲の一つである。

中森明菜 「北ウイング 」

1984年、5月にデビュー3周年目を記念した5枚目のスタジオ・アルバム『ANNIVERSARY』を発売する。同アルバムに収録され、中森の提案によりタイトル名が決定された通算7枚目のシングル「北ウイング」は、1984年のオリコン年間チャートで9位を記録した。10月にも6枚目となるスタジオ・アルバム『POSSIBILITY』を発売し、このアルバムからのシングルの「サザン・ウインド」と「十戒 (1984)」も、この年の同社年間チャートでトップテン入りする。

チェッカーズ 「 哀しくてジェラシー」

1984年、「涙のリクエスト」がヒット。オリコンチャートやランキング番組のベスト10内にこの楽曲と「ギザギザハートの子守唄」、「哀しくてジェラシー」の3曲が同時ランクイン。チェッカーズは社会現象化し、ファッションなどにも大きな影響を与える。


石川優子とチャゲ 「ふたりの愛ランド」

JALのCMソングとしてヤマハに依頼があり、そこでチャゲの作った「ふたりの愛ランド」に白羽の矢が立ったのであった。
ただ、あまりにもチャゲ&飛鳥とは曲調が異なり、本人もシャレのつもりで書いたものだっただけに、ヤマハの制作プロデューサー・山里剛が(飛鳥と組むのではなく)前年にJALのキャンペーンソングを担当した石川優子のマネージャーとディレクターに石川と組むことを提案し、それが採用された。

小柳ルミ子 「~お久しぶりね」

1970年、歌手デビューの前に顔を売るためにNHK連続テレビ小説『虹』で女優としてデビュー。
翌1971年その後も、「わたしの城下町」で歌手デビューし、160万枚の大ヒットとなる。1972年リリースした「瀬戸の花嫁」で同年の第3回日本歌謡大賞を受賞。、天地真理・南沙織らとともに当時『三人娘』と呼ばれ(後年には『新三人娘』とも言われる)、1970年代前半を代表するアイドルとなった。
その後はアイドルというジャンルを卒業。「お久しぶりね」など、数々のヒット曲を飛ばした。



≪1984年(昭和59年)出来事=前期≫

01/05 中曽根首相、現職首相として戦後初の靖国新春参拝。
01/18 三井三池鉱業所有明鉱で抗内火災、83人死亡。
01/19 「週刊文春」56年ロサンゼルスでの強盗事件の被害者に対する"疑惑"を報道(三浦事件)。
01/24 全閣僚の資産初公開。
02/08 第14回冬季オリンピック・サラエボ大会。日本選手69人参加。
02/13 広島で泰州ちゃん誘拐事件。14日犯人逮捕、15日遺体発見。
02/18 植村直己、マッキンリーの冬季単独登頂成功。下山途中行方不明(12・20米国政府死亡を認定)




                「リクエスト」      
           はしだのりひことシューベルツ 「風 」
        
1968年10月頃、各地で開催されたザ・フォーク・クルセダーズの解散コンサートに出演。初期のレパートリーは「風」「何もいわずに」「サウンド・オブ・サイレンス」「ワニ足のジョニー」等。
1969年1月、シングル「風/何もいわずに」を発表。これが大ヒットする。第11回日本レコード大賞新人賞を獲得。
      フォーク大好きなユウキさんリクエスト有難うございました  m(__)m 
         
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