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佳山明生/日野美歌 「氷雨」

「氷雨」(ひさめ)は、演歌歌手・佳山明生の1977年のデビュー曲。1982年に日野美歌らとの競作で発売され、翌1983年には佳山・日野の2人共に大ヒット曲となった。
デビュー盤と再発盤は全くヒットはしなかったが、再々発盤は競作となった日野美歌のシングルとともにヒットし、「第25回日本レコード大賞」ロングセラー賞を受賞した。
再々発盤は、発売から7ヶ月後にオリコンのトップ10に初登場。

原田知世 「時をかける少女 」

1982年4月、『角川・東映大型女優一般募集』オーディションにて『角川映画大型新人募集』特別賞を受賞し芸能界入り(グランプリは渡辺典子)。3か月後の7月、フジテレビ系ドラマ『セーラー服と機関銃』に主演し女優デビュー(14歳)。同時に主題歌『悲しいくらいほんとの話』で歌手デビューも果たす。後番組『ねらわれた学園』にも引き続き主演。
1983年『時をかける少女』で映画初主演(15歳)。同映画の主題歌「時をかける少女」は売上58.7万枚で自身最大のヒット曲となった。

わらべ「めだかの兄妹 」

『欽ちゃんのどこまでやるの!?』、『欽ドン!』、『欽ちゃんの週刊欽曜日』各番組の視聴率が合計100%を超え、また『欽ドン!』より誕生したイモ欽トリオの『ハイスクールララバイ』が大ヒットしていた。『欽ちゃんのどこまでやるの!?』の1982年のリニューアルにあわせて、これまで人形、あるいは子役タレントが担当してきた萩本家の3人の娘たち(のぞみ、かなえ、たまえ)が高校生として成長することになったのをきっかけに、オーディションで選ばれた3人の若手女優によって結成された。当時はアイドル全盛期で華やかなアイドルが多くいた中で、素朴な雰囲気を醸し出し、注目を集めた。

ラッツ&スター 「め組のひと 」

1980年2月にメンバー10人でレコードデビュー。デビュー曲「ランナウェイ」がミリオンセラーを記録する大ヒット。顔を黒塗りすることで、ブラックミュージックの雰囲気を出したことが話題となり、お茶の間でも一躍人気グループとなる。また、「『ドゥ・ワップ』ってなんだろう?」と音楽雑誌でも取り上げられるなど、日本にドゥーワップ・ブームを巻き起こす。黒塗りメイクにはデビュー当時まで白髪染めを、以後は濃い色のファンデーションを塗っている

THE ALFEE 「メリーアン」

アルフィーのリーダーは1974年のデビューの頃から長い間坂崎が務めていた。フォークグループとして、高見沢も長年アルフィーではエレキギターを弾かない事にこだわっていたが、1980年に出された3rdアルバム『讃集詩』のプロデューサー井上鑑の提案で、「落日の風」の間奏でエレキのソロを入れる。
また1982年リリースの5枚目のアルバム『doubt,』からロック系のアレンジで発表する曲を増やし、さらにリーダーを高見沢に交替し、ロックグループとしての色彩を強くする。



≪1983年(昭和58年)出来事=中期≫

05/04 寺山修司、死去(七月劇団天井桟敷解散)。
05/26 日本海中部地震。津波が発生、遠足の児童ら死者・行方不明104人。
06/13 訓練生の死亡・行方不明など、しごき訓練が問題となっていた戸塚ヨットスクールの校長・戸塚宏、傷害致死容疑で逮捕。
06/26 第13回参議院議員選挙。全国区は初の比例代表制。
07/15 熊本地裁、初の死刑囚再審「免田事件」で無罪の判決、確定。
07/15 任天堂「ファミリーコンピュータ」発売。
07/22 山陰地方に豪雨、死者・不明119人。




                     【リクエスト曲🎵】             

               ちあきなおみ「黄昏のビギン」【最後の出演】
             
ちあきの「育ての親」のひとりである鈴木淳は「ちあきなおみの最大の武器は声だ。張りがあって、ハスキーさがプラスされた独自の声。世界に二つとないようなヴァイオリンにも似た『名器』たる響きがある。」と評価している。
作曲家・船村徹はちあきの歌唱力や実力から、昭和の歌謡界を代表する歌手・美空ひばりと対比し(船村はちあきとひばりの双方の楽曲を数多く手がけている)、「美空ひばりとちあきなおみの決定的な違いは、裏声の出るか出ないかだ(ひばりは裏声が出る)」と発言している。

           ◯◯さんからのリクエストです ありがとうございました。 m(__)m   
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