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YMO 「ライディーン 」

Yellow Magic Orchestra (イエロー・マジック・オーケストラ)という名称は、細野が1970年代後半に提唱していたコンセプトである「イエローマジック」から来ている。これは白魔術(善や白人などの象徴。特に白人音楽)でも、黒魔術(悪や黒人などの象徴。主に黒人音楽)でも、そのどちらでもない黄色人種独自の音楽を作り上げるとして、魔術の色を人種の色にかけて提唱した「黄色魔術」(イエローマジック)である。
メンバー=細野晴臣(エレクトリックベース、シンセベース) 高橋幸宏(ドラムス・ヴォーカル) 坂本龍一(キーボード)

財津和夫 「Wake Up 」

つのだ☆ひろとは上京して以来の友人。つのだは、たまたま見たデビュー前のチューリップに魅了され、プライベートで付き合うことになった。当時、財津がチューリップのメンバーと共同生活をしていた南青山のアパートにつのだはよく出入りをしていた。一方小田和正とは古い友人で、昔は2人でよくゴルフに行っていたという。出会いは1969年の「ライト・ミュージック・コンテスト」に共に出場したのがきっかけで、オフコースは自分の憧れだったと語っている。オフコースのファンクラブ「オフコース・ファミリー」の第1期(1973年)会員で、申し込んだのは発起人の3人のすぐ後の4番目だった。

五十嵐浩晃 「ペガサスの朝」

1980年(昭和55年)5月21日、シングル『愛は風まかせ』でCBSソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)よりソロデビューを果たす。 同年ファーストアルバム『ノーザン・シーン』を発売。さらに同年、3枚目のシングル『ペガサスの朝』のヒット(売上50万枚以上)で、翌1981年(昭和56年)にTBSテレビの『ザ・ベストテン』で全国ネット番組初登場。          投稿者 hokker16さん有難うございました

南佳孝「モンロー・ウォーク」

1976年には自身による全作詞・作曲のアルバム『忘れられた夏』を発表する。1979年に発売された『モンロー・ウォーク』を郷ひろみが『セクシー・ユー』のタイトルでカバーし大ヒットした。その後、他のアーティストへの楽曲提供やコラボレーション、プロデュース、映画音楽、CMソング、さらに音楽以外ではナレーションなどもこなす。                        投稿者 makoto-yumeyaさん有難うございました

甲斐バンド 「安奈 」

『裏切りの街角/HERO(ヒーローになる時、それは今)』に続く、甲斐バンドで3枚目のベスト10入りを果たした楽曲である。
「安奈」の曲のアイディアは、たまたま立ち寄った函館のバーで1番の歌詞を思いつきコースターの裏に書き留め、2番の歌詞は渋谷のバーで思いついたという。
また、イントロのギターは、浜田省吾が弾いている。これも、たまたまレコーディングに来ていた浜田に直接頼んだという。

松山千春「人生の空から」

松山千春らが設立したNEWSレコードからの第1弾シングルで、同社リリースの作品としては、同年5月にリリースされていた松山のオリジナル・アルバム『浪漫』に続く2作目に当たる。2枚組・4曲入りのシングルであった。
発売当初、プレスの失敗により、音とびが生じるものが見つかり、一時的に回収されたこともあった。


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