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シャネルズ 「ランナウェイ」

1980年2月にメンバー10人でレコードデビュー。デビュー曲「ランナウェイ」がミリオンセラーを記録する大ヒット。顔を黒塗りすることで、ブラックミュージックの雰囲気を出したことが話題となり、お茶の間でも一躍人気グループとなる。また、『ドゥ・ワップ』ってなんだろう?」と音楽雑誌でも取り上げられるなど、日本にドゥーワップ・ブームを巻き起こす。   投稿者 hokker16さん有難うございました

八神純子 「パープルタウン」

ヤマハポピュラーソングコンテストには、翌1975年に行われた第9回大会でも「幸せの国へ」で参加。優秀曲賞に入賞、また同年には第6回世界歌謡祭で歌唱賞を受賞した。この音楽祭で同じく出場していた外国人アーティストに誘われ、海外での音楽祭やコンテストにも挑戦する決意を固める。高校3年生であった1976年には、第17回チリ音楽祭で「もう忘れましょう」で参加、6位に入賞した。投稿者 showakayoさん有難うございました

郷ひろみ 「How many いい顔」

1979年4月 - 1980年4月、日本テレビ系のバラエティー番組『カックラキン大放送!!』に野口五郎と(以降は1年)交替でレギュラー出演する。『明星』「アイドル人気投票」で7年連続で1位獲得し、日本テレビ音楽祭・トップアイドル賞を受賞する。
11月15日 - 12月13日、TBSテレビドラマ『家路』の挿入歌「マイレディー」が『ザ・ベストテン』で5週連続1位を獲得する。
1980年7月21日、新御三家で初のCMソングとなる「How many いい顔」が発売される。

竹内まりや 「不思議なピーチパイ」

1979年のシングル「SEPTEMBER」で第21回日本レコード大賞新人賞を獲得、1980年のシングルで資生堂化粧品CMソングとなった「不思議なピーチパイ」などがヒットする。当初は安井かずみ・加藤和彦夫妻や松本隆などが提供する曲を歌っていたが、これに飽き足らず自らも作詞・作曲を手がけるようになった

山口百恵 「謝肉祭」

引退直前同年9月に刊行された自叙伝『蒼い時』は、複雑な生い立ち、芸能人としての生活の裏面に加え、恋愛や三浦との初体験についても赤裸々につづられており、発売から1か月で100万部を超え、12月までに200万部を超える大ベストセラーになった。同書の仕掛け人といえる残間里江子にも注目が集まった。写真撮影は立木義浩。引退後の翌年1981年に文庫化されている。    投稿者 eugenejoseph4485さん有難うございました



≪1980年(昭和55年)出来事=中期≫

05/01 犯罪被害者等給付金支給法公布。
05/24 JOC総会、採決でモスクワ・オリンピック不参加を決定。
06/01 気象庁、東京地方で「降水確率予報」を開始。
06/12 大平首相死去。伊東官房長官、首相臨時代理に就任。
06/22 第36回総選挙・第12回参議院議員選挙(初のダブル選挙)。
07/03 53年以来集団失跡の「イエスの方舟」26人、熱海で発見。
07/15 牛丼の吉野屋が倒産、負債総額122億円。
07/17 鈴木善幸内閣成立。
07/24 航空機疑惑判決、日商岩井・海部被告に有罪判決。
07/25 ハンガリーのルービック教授が教材用に考案した立体パズル「ルービックキューブ」が日本上陸(発売はツクダオリジナル)し大ブームに。
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