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松山千春 「季節の中で 」

1977年10月には『オールナイトニッポン』水曜2部のパーソナリティに起用され全国区の人気に。 1978年4月には月曜1部に昇格し全国区の知名度を更に得るようになる。同年に発売したシングル「季節の中で」が大ヒットしたことで一気にスターダムを駆け上り、 以後も多数のヒット曲を出し、ニューミュージック

中原理恵 「東京ららばい」

北海道函館市出身。遺愛女子高校卒業。1978年、CBS・ソニーから歌手デビュー。1stシングルの「東京ららばい」が大ヒット。デビュー当時19歳だったが、大人っぽい曲調に合わせるためなのか、年齢を2歳上に偽っていた。年末には、第20回日本レコード大賞新人賞など数々の新人賞を受賞し、第29回NHK紅白歌合戦にも「東京ららばい」で出場。第二弾「ディスコ・レディー」もヒットとなる

世良公則とツイスト 「あんたのバラード」

1977年10月、「あんたのバラード」がポプコン本選会でグランプリを獲得。フォーク/ニューミュージック系シンガーが多かったポプコンでロックバンドがグランプリを獲るのは初めてのことで,ひとつの"事件"だった,世良公則&ツイストのグランプリ以降、ロック系の楽曲が増えた.世良公則&ツイストがこの後、大きな人気を得たことで、ポプコンの名が世間に知らしめられ,ポプコンはスターの登竜門として華々しくなっていった

五輪真弓 「さよならだけは言わないで」

1976年、最新アルバム『Mayumity』を絶賛したCBSフランスから現地(フランス)でのアルバム制作の申し出があり、初めての渡仏。機を同じくして、サルヴァトール・アダモと出会い、彼の2週間にわたるオランピア劇場でのコンサートにゲストとして招かれた。
また、この時期以降積極的にTV等メディアへの露出も増えていく。特に1978年3月21日発売の「さよならだけは言わないで」のヒットにより、『夜のヒットスタジオ』や『ザ・ベストテン』(今週のスポットライト・コーナー)など、歌番組への生出演が多く見受けられるようになる

矢沢永吉 「 時間よとまれ」

1978年 CMソング「時間よ止まれ」が大ヒット、累計売上はミリオンセラーを記録し同曲はバックバンドの一員として坂本龍一や高橋幸宏、後藤次利らが参加している。
会場周辺を機動隊が取り囲む厳戒態勢の下、8月28日に東京ドームの前身となる後楽園球場で空前の単独公演を敢行。
5月長者番付歌手部門で、ロックミュージシャンとして初の第1位を獲得。
7月、自著伝第1弾「成りあがり」を出版。100万部を超えるベストセラーとなり、社会現象となる。ライターを担当したのは糸井重里である。
新聞世論調査におけるこの年の「ヒーローと呼べる人物」として第1位王貞治に次ぎ、第2位に選ばれた。



 ≪1978年(昭和53年)出来事=中期≫

03/01 北陸スモン訴訟、患者側勝訴(5.22東京スモン訴訟、第2次和解成立。8.3東京11.4福岡、ともに患者側勝訴)。
03/10 福岡地裁、カネミ油症統一訴訟で国と市の行政責任認めず、患者側控訴。
03/20 初の国産発電用原子炉「ふげん」臨界に。29日送電開始。
03/26 過激派学生、成田空港管制塔に乱入、機器破壊(開港延期に)。
04/04 キャンディーズが東京・後楽園球場でさよならコンサート。
04/05 東京・池袋の巣鴨刑務所跡地に新都市開発センターの「サンシャイン60」が完成。
04/27 日大北極点遠征隊、日本人初の極点到達。30日植村直己、犬ぞりで単独到達。


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