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    「上を向いて歩こう 」 

1961年の「上を向いて歩こう」は日本国外でも大ヒットし、作詞の永六輔氏、作曲の中村八大氏と合わせて六八九トリオと呼ばれた。中でも1963年には、SUKIYAKIというタイトルでアメリカでもっとも権威のあるヒットチャート誌『ビルボード』の "Billboard Hot 100" で、3週連続1位を獲得した。"Billboard Hot 100" で1位を獲得した東洋人及び日本人アーティストは、2010年まで坂本だけである(2010年にメンバー全員がアジア系アメリカ人であるファーイースト・ムーヴメントが同チャートで1位を獲得した)。この曲は後に英語歌詞が付いたが、1位を獲得したのは坂本の歌う日本語版であり、その点でもこれまで唯一の例である。
また、この「上を向いて歩こう」は1964年に米国内でのレコード累計販売枚数が100万枚を超えたため坂本は日本人初の「ゴールドディスク」を受賞した。
 
「見上げてごらん夜の星を」

坂本はミュージカルの再演と同名映画でも夜学生を主演し、地方から東京へ集団就職し定時制高校に通っていた生徒たちは、この名曲に励まされたという。いずみによると同曲はレコードで聴くというよりは自分でなんとなく口ずさんでしまいたくなる曲であり、ヒットのわりにはレコードはあまり売れなかったという[4]。なお、作曲を手がけたいずみたくは本楽曲で第5回日本レコード大賞・作曲賞を受賞している。                  

「明日があるさ 」

作詞は青島幸男、作曲・編曲は中村八大。自分に自信が持てず、意中の女性に恋心を打ち明けられないにもかかわらず、前向きに日々を過ごす男子学生の思いをコミカルに表現している。当時80万枚以上のセールスを記録した。
1964年2月からは日本テレビで、本楽曲をヒントにした同名の音楽バラエティ番組『明日があるさ』が放送された。同番組では坂本がホストを務め、作詞を手がけた青島も出演した。


「すきやき 九ちゃん」

タレントとして、テレビの司会や映画、舞台でも活躍した。また、「あゆみの箱」運動[1]、手話を広げる運動、障碍者福祉関係の慈善活動に積極的に参加していた。
1971年12月8日に女優の柏木由紀子と結婚[1]。
「上を向いて歩こう」がヒットする最中、夕張市を中心に当時流行していた小児麻痺の為の「チャリティーショー」が1962年から札幌テレビ放送主催の下、札幌市で開かれ、坂本は無報酬で出演した。

「ジョージアで行きましょうCM総集編」

《航空機事故死》
1985年にレコードレーベルをファンハウスに移籍。5月22日に移籍後第1弾シングル「懐しきlove-song/心の瞳」を発売して、再び歌手活動を本格化させようとしていた。8月9日には、中村八大のコンサートにて「もう一度、六・八・九としてやり直したい、歌手としてやり直したい」という意志を伝え、中村と再度の意気投合を誓っていたという。
大阪府にある友人(坂本の元マネージャー)の選挙応援として翌13日に行われる事務所開きに駆けつける途中、日本航空123便墜落事故に遭遇し死去した。43歳没。

                       
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