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岸洋子「希望 」オリコンチャートでは週間最高2位、1970年度のオリコン年間シングルチャートにも12位にランクインするなど、通算約50万枚を売り上げる大ヒットとなり、「夜明けのうた」「恋心」などと並び岸洋子の代表曲の一つに数えられる。岸洋子は本楽曲で1970年の第12回日本レコード大賞・歌唱賞を受賞した 野村真樹「一度だけなら」1970年6月5日に『一度だけなら』をリリースし、正式に歌手デビューを果たす。抜群の歌唱力で...

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由紀さおり「 手紙 」1970年には、「手紙」も6週連続1位、1970年度年間6位となる大ヒットになり、第12回日本レコード大賞の歌唱賞を受賞した。その後も「文字色生きがい」「故郷」「ルーム・ライト (室内灯)」「挽歌」「ふらりふられて」「う・ふ・ふ」「トーキョー・バビロン」などの歌謡曲を世に送り出し、その確かな歌声は「酔い覚ましの清涼剤」との評価を受ける。1973年には「恋文」で第15回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を...

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藤圭子 「女のブルース」 作詞家の石坂まさをと組んでヒット曲を連発。女性ハスキーヴォイスの先駆者・青江三奈とは異なる、ドスの効いた声が可憐な風貌とのギャップも相俟って当時の社会に衝撃を与えた。ファーストアルバム「新宿の女」は20週連続1位、間を置かずリリースされたセカンドアルバム「女のブルース」は17週連続1位を記録。計37週連続1位という空前絶後の記録を残す。そのヒットから、テレビアニメ『さすらいの太陽』...

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尾崎紀世彦 「また逢う日まで」1971年、「また逢う日まで」「さよならをもう一度」「雪が降る」「愛する人はひとり」が次々とヒット、出身地・茅ヶ崎ではワンマン・ショー、大阪にて初のソロ・コンサートを開催する。2枚目のシングル「また逢う日まで」が売り上げ100万枚を突破、第13回日本レコード大賞大賞と第2回日本歌謡大賞大賞をダブル受賞する。日本レコード大賞を受賞した際に両手でVサインを、さらにトロフィーを持ち上げ...

加藤登紀子「琵琶湖周航の歌」 日本の学生歌の一つで、琵琶湖および周辺地域を題材とした、滋賀県のご当地ソング の一つ。1917年(大正6年)6月28日成立(作詞:小口太郎、作曲:吉田千秋)、1933年(昭和8年)初版レコーディング(作詞・作曲:同左)。投稿者 circle1000さん有難うございました湯原昌幸 「 雨のバラード」1970年にスウィング・ウエストが解散。湯原はソロ歌手となり、1971年4月に自身2枚目のシングルとして発売...

森進一「望郷 」元は普通の声であり、ルックスもいいことからポップス系でデビューさせる予定でスクールメイツ入りさせた。しかし個性が弱いとして、チャーリー石黒は売れるためには声を潰し、演歌を歌うしかないと森と渡辺プロを説得。翌1966年、猪俣公章作曲、吉川静夫作詞による「女のためいき」でデビューした。「恍惚のブルース」でほぼ同時期にデビューした青江三奈と共にため息路線として売り出された。猪俣はその後の彼の...

トワ・エ・モア「誰もいない海 」日本放送協会の『あなたのメロディー』から生まれた「空よ」、1972年の札幌オリンピック のテーマ曲である「虹と雪のバラード」、「誰もいない海」「初恋の人に似ている」「地球は回るよ」「愛の泉」など数多くのヒット曲を出し、1960年代後半から1970年代前半にかけて流行した和製ラウンジ系ポップの先駆けとなった。野口五郎「青いリンゴ」1971年5月1日、当初は演歌歌手としてシングル曲「博多み...

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鶴田浩二 「傷だらけの人生 」鶴田浩二がマイクにハンカチを沿え耳に手を当てて歌う姿は、「手が脂性であったことと、従軍時に耳を傷めて演奏のリズムが取りにくかったことが理由である」と本人が明言している。「古い人間」が「今の世の中」を憂う詩は、藤田まさとが「鶴田浩二」をイメージして書き下ろしたもので、それに吉田正が曲をつけた。 美川憲一「おんなの朝 」 1971年、「おんなの朝」で第4回日本有線放送大賞スター賞・...

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ザ・ドリフターズ「メドレー」日本の音楽バンドおよびコントグループである。1969年頃までバンドを主活動とし、それ以降は主としてコントグループとして活動した。通称はドリフ。1970年代から1980年代中頃を全盛期に、TBS系の『8時だョ!全員集合』やフジテレビ系の『ドリフ大爆笑』などのテレビ番組で活動した。南有二とフルセイルズ「 おんな占い 」女の人のクセや特徴で、その人を占うという歌詞に当時は新しさを感じました。ま...

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