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BORO 「 大阪で生まれた女」 1972年、箕面学園高等学校卒業後、日本声専音楽学院でジャズボーカルを学ぶ。その後上京しティーブ・釜萢に弟子入りするが、デビューできないまま大阪に戻り、ギターの弾き語りをしていた。1979年、再度上京し内田裕也のプロデュースによる「都会千夜一夜」でデビュー。8月に発表した2枚目のシングル「大阪で生まれた女」が大ヒット。彼の代表作となる。                      ...

 梓みちよ 「二人でお酒を 」1974年には床に座り込んで歌う「二人でお酒を」(作詞・山上路夫、作曲・平尾昌晃)が久々に大ヒット。同曲で第5回日本歌謡大賞・放送音楽賞、同年末の第16回日本レコード大賞・大衆賞をそれぞれ受賞し、また『第25回NHK紅白歌合戦』にも5年ぶり8回目の復帰出場を果たし、イメージ・チェンジを成功させた。一方、1971年7月から1978年2月まで『新婚さんいらっしゃい!』(司会・桂三枝)の2代目アシス...

あみん  「待つわ」1982年春、第23回ポプコンに「待つわ」で出場、5月16日の本選に進出、グランプリを獲得した。7月25日、「待つわ」で日本フォノグラムよりレコードデビュー。1982年唯一のミリオンセラー(102万枚)を記録した。あまりの有名さと分刻みのスケジュールで、大学の授業に出ると教授から「芸能人は来るな」と教室を追い出されたというエピソードもあった。同年12月31日には『第33回NHK紅白歌合戦』に出場した。WINK ...

南 佳孝 「モンロー・ウォーク 👠 」中学生の時点から既に「音楽で身を立てて生きていく」ことも決心していたという。また、明治学院大学在学中ジャズに傾倒していたことが後の曲作りに大きく影響している。1979年に発売された『モンロー・ウォーク』を郷ひろみが『セクシー・ユー』のタイトルでカバーし大ヒットした。その後、他のアーティストへの楽曲提供やコラボレーション、プロデュース、映画音楽、CMソング、さらに音楽以外...

ラブユー東京 黒沢明とロス・プリモス B面『ラブユー東京』(作詞/上原尚・作曲/中川博之)の作品でデビューした。これは、中川博之にとってもデビュー作となり、以来数多くの作品を共にすることになる。この時レコードジャケットは白黒だった。地道な活動により、1年後に「ラブユー東京」が大ヒット、思いがけない展開に慌ててAB面をひっくり返し、ジャケットがカラーの「ラブユー東京」が登場した。            ...

チャゲ&飛鳥 「Yah Yah Yah 」高校の同級生同士で結成され、1979年にシングル「ひとり咲き」でデビュー[2]。1980年に「万里の河」、1986年には「モーニングムーン」がヒットし、1991年に「SAY YES」がオリコンチャート13週連続1位を獲得し、ダブルミリオンを記録。1992年にはアルバム『SUPER BEST II』もダブルミリオンを記録し、オリコンアルバム年間1位を獲得。シングルでは「if」がミリオンセラーを記録。1993年に「YAH YAH YA...

 沢田研二 「時の過ぎゆくままに」1971年11月1日発売のシングル「君をのせて」でソロデビュー。オリコン最高位は23位だった。GSの先輩であったザ・ワイルドワンズの加瀬邦彦プロデュースのもと、十数年にわたって音楽ランキングトップ10にチャートインし続けた沢田のソロ活動のスタートであった。「時の過ぎゆくままに」は5週連続オリコン1位で92万枚の売り上げを記録、沢田にとって最大のヒット曲となった。天地真理 「ひとり...

新橋喜代三  「明治一代女」 .新橋 喜代三(しんばし きよぞう、女性、1903年10月12日 - 1963年3月23日)は昭和初期から中期に活躍した歌手で、元芸者。鹿児島県の種子島、熊毛郡北種子村(現在の西之表市)出身。本名は中山嘉子。旧姓は今村、旧名はタネ。(読み方は同じで「タ子」と書かれた書物もある)。作曲家中山晋平の後妻。享年59。上原敏・結城道子 「裏町人生」<上原 敏>(うえはら びん、本名:松本力治(まつもと...

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