Menu

中村雅俊  「ふれあい」青春ドラマ『われら青春!』の主役に抜擢され人気を獲得し、自らが歌う挿入歌『ふれあい』が100万枚を超えるセールスを記録した。歌手活動だけでなくテレビ番組やラジオ番組の司会進行役を務めるなどマルチな才能を発揮し、CMにも多数出演する。また、保険会社等が毎年発表する「理想の夫像・夫婦像」と題するアンケートでは常に上位にランクインし、幅広い層から支持を集めていることも証明される。ただし...

八神純子 「みずいろの雨」歌手として引退の危機に陥っていたとき、東京・原宿の歩道橋で不意に曲想を得て「みずいろの雨」を作曲(作詞は三浦徳子)。この曲を同年に3枚目のシングルとしてリリースしたところ、有線放送やラジオ番組を中心にリクエスト回数が増え始めオリコンチャートの順位も上がっていった。TBS系で1978年1月放映開始の音楽番組『ザ・ベストテン』の「今週のスポットライト」に出演したことで全国区に知名度を...

フランク永井 「おまえに」1961年には1922年の二村定一氏の流行歌「君恋し」をジャズ風にアレンジしたリバイバルが大ヒット。同年の第3回日本レコード大賞を受賞、人気を不動のものとする。日本レコード大賞では大賞を1回、歌唱賞を2回、特別賞を3回受賞している。NHK紅白歌合戦の常連出場者としても知られ、1957年の第8回から1982年の第33回まで連続26回出場し、現役出場時は島倉千代子さんと並んで最多出場者の記録を持っていた...

堀内孝雄 「愛しき日々」チャンピオンにて「遠くで汽笛を聞きながら」「冬の稲妻」「ジョニーの子守唄」「夢去りし街角」「秋止符」など、数々の曲を生み出した。その傍らでソロ歌手としても活動、「君のひとみは10000ボルト」や、滝ともはるとのデュエット曲「南回帰線」(売上40万枚)-などを大ヒットさせている。アリス活動停止後はソロ歌手として、ニューアダルトミュージック、そして演歌・歌謡曲路線に転向後、「愛しき日々...

尾崎紀世彦 「また逢う日まで 」 1971年、「また逢う日まで」「さよならをもう一度」「雪が降る」「愛する人はひとり」が次々とヒット、出身地・茅ヶ崎ではワンマン・ショー、大阪にて初のソロ・コンサートを開催する。2枚目のシングル「また逢う日まで」が売り上げ100万枚を突破、第13回日本レコード大賞大賞と第2回日本歌謡大賞大賞をダブル受賞する。日本レコード大賞を受賞した際に両手でVサインを、さらにトロフィーを持ち上...

「俺ら東京さ行ぐだ〜」 コミックソングや演歌へと楽曲の方向性を移行した。1984年(昭和59年)3月25日、千昌夫さんへ提供した「津軽平野」が発売。同年11月25日には千のプロデュースで発売された「俺ら東京さ行ぐだ」が大ヒット。1986年(昭和61年)2月25日、自ら作詞作曲した「雪國」が初のオリコン1位を獲得。以後、発表楽曲をコミックソング歌手から本格的な演歌歌手へ路線変更し、現在に至っている。   投稿者 hal-tokyoさ...

「青い果実」1972年12月、オーディション番組『スター誕生!』で、牧葉ユミさんの「回転木馬」を歌い、準優勝20社から指名を受ける。 同番組への出演応募のきっかけは、同い年の森昌子さんがテレビで活躍しているのを見て自分も森昌子さんのようになりたいと思ったこと。 同番組では、審査員の阿久悠氏から「あなたは青春ドラマの妹役なら良いけれど歌手は諦めた方が良い」と言われる。「愛染橋」 1980年3月7日には三浦友和さんと...

「恋のバカンス」和製ポップスを海外公演などによって世界に広めた功績は大きく、特に当時の東西両ドイツやイタリアでは、日本の歌手と言えば即座に「ザ・ピーナッツ」と連想されるほどの活躍振りも高く評価された。1975年渡辺プロダクション社屋にて記者会見を開き、現役を引退することを表明(1972年頃より引退を検討していた)した。(詳細)ザ・ピーナッツ「恋のフーガ」...

ムーンウォーク1969年10月、「I Want You Back」でジャクソン5としてメジャーデビュー。デビュー曲でありながらいきなり全米チャート1位に登り詰めた。続く「ABC」ではビートルズの「Let It Be」を首位から引き摺り下ろし再び1位になった。続く「The Love You Save」、「I'll Be There」もチャートを制し、デビュー早々4曲連続全米チャート1位という偉業を成し遂げた。ビートイット1979年、クインシーをプロデューサーに迎えて『Of...