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松坂慶子_愛の水中花高校2年の1969年、大映からスカウトされる。同年、『ある女子高校医の記録 続・妊娠』で女高生の一人としてスクリーンデビュー。1971年、映画『夜の診察室』で、主演予定だった渥美マリの降板により代役で映画初主演。1972年松竹へ移籍。1973年NHK大河ドラマ『国盗り物語』で濃姫を演じて広く知られた。1975年、時代劇『江戸を斬る』に出演。1978年の映画『事件』では清純派からの脱皮を果たす。翌1979年の映画...

堺正章 「さらば恋人」1970年のバンド解散後はソロで歌手活動を展開したほか、俳優、司会、さらには父を受け継ぎコメディアンと、多方面にわたり活動の幅を広げている。1970年にスタートした『時間ですよ』では第3シリーズ(1973年)まで出演。番組人気と相まって、悠木千帆さんらとともに俳優としての出世作となった。1978年から1980年にかけて日本テレビ系ドラマ『西遊記』『西遊記II』で主役の孫悟空を務め、子どもを中心に大...

寺尾聡 「ルビーの指輪19歳の時に上京、アルバイトをしながらミュージシャンを目指す。レコード会社近くの飲食店などで働き、顔馴染みになった音楽業界の関係者に自作の曲の入ったカセットテープを渡したりするなど、音楽で身を立てられるよう積極的にアプローチをしていた。またこの頃から新宿ルイードで定期的にライブを行う。父親から「25歳までにデビューできなかったら、自分と同じ保険の営業マンになれ」と忠告されていた。...

 「舟唄」1979年の第21回日本レコード大賞・第10回日本歌謡大賞にノミネートされたが日本レコード大賞は金賞、日本歌謡大賞は放送音楽賞止まり[5]となり、翌年「雨の慕情」で双方とも大賞受賞となる。発売当初の売上は当時の八代のシングルとしては低調だった[3]が、発売年の紅白で八代亜紀さんが大トリで歌唱して後、年明けからは売れ行きが加速した[6]。NHK『NHK紅白歌合戦』では3回歌唱されている。発売年の1979年第30回紅白の...

傘がない この歌が流行った、1972年 当時の若者といえば、ちょうど、戦後第一次ベビーブームの時代に生まれた世代です。いわゆる、団塊の世代と呼ばれるこの世代。そして、この世代は、数十年の時を経て…、折りしも、激増する中高年者の自殺として、やはり新聞の片隅に書かれています。 若者たちの自殺、中高年者たちの自殺…、この符合する両者の自殺をどう考えればいいのでしょうか。 自殺ということを、個人の問題として捉...

熱き心に東京都世田谷区出身。子役を経て第3期日活ニューフェイスに合格。母は音楽教室を開いていた。 目黒高等学校を経て明治大学文学部中退。1956年映画『飢える魂』でデビューした。1959年公開の映画『南国土佐を後にして』で脚光を浴びる。以降、映画「渡り鳥」シリーズ、映画「旋風児」シリーズに主演。石原裕次郎さんらとともに日活の黄金時代を築く。昔の名前で出ています1960年頃、映画での共演をきっかけに浅丘ルリ子さん...

カーペンターズ 「イエスタデイ・ワンス・モア」 オリコンチャートブックの集計では1970年から1989年(いわゆるレコード時代)の日本での海外アーティスト別アルバム売上枚数はビートルズに次いで第2位である。シングル売上枚数は第1位。CD時代に入った後も、1995年発売のベスト盤『青春の輝き〜ベスト・オブ・カーペンターズ』が200万枚越えるセー...

ダ・カーポ 「結婚するって本当ですか」1971年、栃木県出身の久保田広子が家業のスーパーマーケットを継ぐため、神奈川県横浜市のスーパーで修行中、歌の仲間募集のポスターを見て、榊原まさとしの兄が経営していた「サカキ音楽研究所」を訪れ、ここで二人が出会ったそしてグループ結成を決意。翌1974年にリリースした「結婚するって本当ですか」が60万枚を売り上げる大ヒット、代表曲となった シュガー  「ウェディングベル」...

いずみたくシンガーズ 「帰らざる日のために」いずみたく氏シンガーズの歌う主題歌『帰らざる日のために』は60万枚を売り上げ、同曲からは「涙は心の汗だ!」の名フレーズも生まれた。また主演した中村雅俊さんの歌う挿入歌『ふれあい』はオリコンチャート10週連続第1位を記録し、ミリオンセラーとなった青い三角定規 「太陽がくれた季節」1972年、日本テレビ系列で放送された青春ドラマ『飛び出せ!青春』の主題歌・「太陽がくれ...