Menu

 皆川おさむ ( 黒猫のタンゴ )                                       日本では1969年10月5日に皆川おさむのデビュー曲として発売された。日本語の詞を付けて邦題を「黒ネコのタンゴ」とし、小森昭宏が編曲した。たまたま皆川おさむの叔母である皆川和子が主宰するひばり児童合唱団に日本語版リリースのオファーが来たことから皆川おさむが歌うことになった。フィリップスからシン...

牧瀬里穂 東海「ホームタウン・エクスプレス(X'mas編)」のCMソングに使用されたことで知名度が上昇。1989年12月にはオリコンシングルチャートで、30週目のランクインで1位を獲得。そのため、発売から1位獲得までの当時の最長記録(6年6か月)、ベスト・テンに再チャートされた回数の最多記録など、変わった記録を多数持つ曲となった。深津絵里1986年(昭和61年)、東京・原宿で行われていたミス原宿グランプリ(コンテスト)に参...

 村下孝蔵  ( 初恋 )1983年、30歳にして発表した5枚目のシングル「初恋」は、オリコンチャートで最高3位を記録する大ヒットとなる。「初恋」は村下がバラードとして作ったものを編曲家の水谷公生がテンポを上げてポップ系に編曲し、村下がそれを受け入れたことで完成をみた楽曲であった。水谷はかねてから須藤晃に「もうフォークにこだわらなくてもいいんじゃないか」と進言していた。「踊り子 」 村下のデビュー4年目、6...

小坂明子 「あなた」1973年 第4回世界歌謡祭にて、自身の作詞作曲による「あなた」で最優秀グランプリを受賞。1974年 前年12月に発表したデビュー曲「あなた」が200万枚を超える大ヒット。第2回サンプラザ音楽祭では熱演賞グランプリを受賞した。年末にはNHKの『第25回NHK紅白歌合戦』にも出場した。なお、このとき指揮を務めたのは父の小坂務である[1]。 狩人 「あずさ2号」 1977年3月25日発売の『あずさ2号』でデビュー。...

日吉ミミ ( 男と女のお話 )1970年代に嬌声(きょうせい)と呼ばれる放り投げるような高音域の声質と頽廃的な内容の作品群で脚光を浴びる。1967年5月にビクターより「池和子」名義にてEP『涙の艶歌船』でデビュー、3枚のシングル盤をリリースするもヒットに恵まれなかったため、1969年11月に改名して再デビュー。改名第2作となる『男と女のお話』が大ヒット(累計売上は60万枚超[3])、選出後辞退した江利チエミの代替出演なが...

 由紀さおり  ( 夜明けのスキャット )            いつまでも ずっと・ずっと聴いていたい曲です(^^♪    由紀さおり といえば 【♪ 夜明けのスキャット 】 で本当に素敵な曲で、宇宙の中に居る様な・・息子が赤ちゃんの時は子守り唄代わりに、いつもこの曲を聴かせてました ♪ だって 私 スッゴク音痴なんです! 息子がひきつけでも起こしたら大変です。(≧◇≦)  <夜明けのスキャット> が世...

はしだのりひことシューベルツ 「風」 1968年10月頃、各地で開催されたザ・フォーク・クルセダーズの解散コンサートに出演。初期のレパートリーは「風」「何もいわずに」「サウンド・オブ・サイレンス」「ワニ足のジョニー」等。1969年1月、シングル「風/何もいわずに」を発表。これが大ヒットする。第11回日本レコード大賞新人賞を獲得。はしだのりひことクライマックス 「花嫁」 1964年にドゥーディ・ランブラーズの一員とし...

  • -
  • -

ゴールデン・カップス 「長い髪の少女 」 1965年頃、既に横浜ではいくつものアマチュアバンドが結成されており、ダンスパーティーやイベントなどに活動の場を求めていた。平尾もそうしたアマチュアのひとりで、「スフィンクス」というバンドでボーカルを担当していた。「スフィンクス」と藩がギターを担当していた「ファナティックス」はともにアマチュアながら、当時の横浜を代表するバンドであり、東京から音楽関係者が足を運ん...

  • -
  • -