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  テレサ・テン (時の流れに身をまかせ)1974年、21歳の時に日本での歌手活動を開始する。すでにアジアのスターだった彼女は、アイドル歌謡曲路線の「今夜かしら明日かしら」により鳴り物入りで日本デビューを果たすが、売れ行きは思わしくなく、不発に終わった。そこで演歌歌謡曲路線に転向したところ、日本でのデビュー2作目となる「空港」が大ヒットする。第16回日本レコード大賞新人賞を獲得して日本でもトップ・スターの...

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ピンクレディー  ( UFO )         第6弾シングルの「UFO」(1977年12月)もミリオンセラーを記録し、1978年末の「第20回日本レコード大賞」を受賞する。それまでピンクレディーのような“ディスコ・ポップス系”のアイドル歌手がレコード大賞を受賞した前例はなく、ピンクレディーのレコード大賞受賞はまさに“前代未聞の革命”であった。また『UFO』では、“地球の美女が異星人に恋をする”という阿久悠氏作詞の歌詞...

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  吉幾三 (俺ら東京さ行ぐだ~)            父は民謡歌手の鎌田稲一、9人兄弟の末っ子1952年11月11日に青森県で生まれる。1984年3月25日、千昌夫さんへ提供した「津軽平野」が発売。同年11月25日には千のプロデュースで発売された「俺ら東京さ行ぐだ」が大ヒット。1986年2月25日、自ら作詞作曲した「雪國」が初のオリコン1位を獲得。以後、発表楽曲をコミックソング歌手から本格的な演歌歌手へ路線変更し、現在に...

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「柳ヶ瀬ブルース」青春歌謡路線で売出し中の美川にとって演歌である「柳ヶ瀬ブルース」を歌う事にかなりの抵抗があった。レコーディングの話が来た際、レコード会社に「歌いたくない」と断ったところ「歌えないのならお前はクビだ」と言われてしまう。「クビになるのならやるだけやってみよう」「この曲が売れなければ辞めよう」と詞の内容も理解しないまま嫌々歌ったという。この曲のヒットにより美川はムード歌謡・演歌路線へと...

「おふくろさん」1971年(昭和46年)には「おふくろさん」(作詞・川内康範、作曲・猪俣公章)が発売され、同曲で2度目の最優秀歌唱賞を受賞した(第13回日本レコード大賞最優秀歌唱賞)。また、「第22回NHK紅白歌合戦」にも同曲で出場し、3年連続でトリを務めた「花と蝶 」...

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 「空に星があるように」文学座に在籍して俳優業を開始、『バス通り裏』でデビュー。一方で音楽の才能も注目され、東海ラジオの番組『星に唄おう』のDJを務め、そのテーマ曲『空に星があるように』で、ビクター音楽産業から1966年に歌手デビュー。同年、『空に星があるように』で第8回日本レコード大賞新人賞を受賞。1966年、東映『893愚連隊』で映画評論初の新人男優賞受賞。1966年、ファーストアルバム『ある若者の歌』で芸術祭...

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  クレイジーキャッツ (スーダラ節)  元々は「キューバン・キャッツ」の名で活動を開始したが、進駐軍のキャンプ回りをしていた際、演奏中に洗面器で頭を叩くギャグが大受けし、“You, crazy!”と言われたことから「クレージーキャッツ」に改名したとされている。渡辺プロダクション所属。数多くのバラエティ番組に出演し、コントを演じるようになってからコントグループと見られるようになってしまった。しかしながら、下...

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   橋幸夫・吉永小百合 (いつでも夢を)        日活の看板女優」として、浜田光夫と共に1960年代の日本映画界に一大旋風を巻き起こした。従来の男性アクション映画路線がマンネリ化していた当時の日活にとって、吉永・浜田コンビの純愛&青春映画路線は、新たな日活映画ファンの獲得と支持を集めた。特に、『キューポラのある街』、ベストセラーを映画化した『愛と死をみつめて』などは世間から熱い注目を集めた。ブ...

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