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若原一郎「 おーい中村君」1948年にNHKのど自慢で入賞し、翌1949年、キングレコードから「船に灯がつきゃ」でデビュー。伸びのある美声に豊かな声量、歌の歯切れの良さにはデビュー当時から定評があったもののヒットが出ず、長い下積み時代が続いた。1956年に「吹けば飛ぶよな」がヒットすると一躍名が知られるようになり、同年に「風の吹きよで」でNHK紅白歌合戦へ初出場。この年から5回連続で出場している(詳細は下記参照)。19...

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津村 謙「上海帰りのリル 」1951年(昭和26年)に、「上海帰りのリル」(作詞:東条寿三郎、作曲:渡久地政信)が大ヒット(島耕二監督によって1952年に映画化後に根津甚八がカバーする)。一躍大スターになる。この曲は、1957年に作家の松本清張が『別冊・文藝春秋』に発表した「捜査圏外の条件」[1]にモチーフとして使われており、発売後6年経過した時点でも、人々に口ずさまれていたことがわかる。松山 恵子「だから言ったじゃ...

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藤山一郎「 青い山脈」1981年1月1日に放送されたTBS「全国歌謡曲大調査、明治から昭和この百年!史上最大のベストテン」では一位を獲得した[2]。また、上述の1989年に放送されたNHK『昭和の歌・心に残る歌200』でも一位を獲得している。この曲を歌った藤山一郎と作曲者の服部良一は共に国民栄誉賞を受賞している(作詞の西條は国民栄誉賞創設以前に死去)。 井沢八郎「ああ上野駅」東北地方からの集団就職者の愛唱歌としても知ら...

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笠置シヅ子「東京ブギウギ」日本の歌手、女優。戦後、「ブギの女王」として一世を風靡した。1945年(昭和20年)11月、再開場した日本劇場の最初のショーから出演し、1947年(昭和22年)の日劇のショー『踊る漫画祭・浦島再び龍宮へ行く』で歌った、服部良一作曲(シヅ子の歌曲のほとんどを手がけた)の『東京ブギウギ』が大ヒットした。以後『大阪ブギウギ』や『買物ブギ』など一連のブギものをヒットさせ、「ブギの女王」と呼ばれ...

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岡本敦郎「白い花の咲く頃 」1946年にラジオ歌謡のホームソング「朝はどこから」でデビューした。この曲は当時、敗戦直後の日本を励ますため朝日新聞が企画した懸賞応募曲である。明るいその曲調から、広く親しまれ愛唱された曲である  倍賞千恵子「下町の太陽 」1961年、松竹映画にスカウトされ松竹歌劇団を退団し、『斑女』(中村登監督)で映画デビュー。1963年、山田洋次監督の映画『下町の太陽』に主演して以降、山田作品に...

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