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江利チエミ 「テネシー・ワルツ 」チエミの「テネシーワルツ」の大ヒットは「日本語と英語のチャンポン」というスタイルを用いたこともあり、それまで都市部中心でのブームであった「ジャズ」(当時の日本では洋楽を総称してこう呼んだ)を全国区にするにあたり、牽引役を果たした。また、後のペギー葉山、そしてカントリーの小坂一也、そしてロカビリーブームなど、日本における「カバー歌手」のメジャー化のさきがけともなった...

橋幸夫・吉永小百合 「いつでも夢を ・寒い朝」そのファンは、「サユリスト」と呼称される。1960年代を代表する人気映画女優で10年間で70本以上の映画に出演した。吉田正(作曲家)の門下生として、数多くのレコードを世に送り出している。早稲田大学第二文学部西洋史学専修卒業、学位は文学士(早稲田大学)。夫はフジテレビディレクター、共同テレビ社長、会長、取締役相談役を歴任した岡田太郎。三田明 「美しい十代」作曲家...

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島倉千代子 「東京だよおっ母さん」 1957年、19歳、「東京だョおっ母さん」が150万枚のヒット。映画化もされ、自ら主演する。この年初めてNHK紅白歌合戦に初出場(曲目は「逢いたいなァあの人に」。その後、1976年、1979年にも歌唱)、同じ年で憧れの美空ひばりと競演して生涯にわたり実妹のように可愛がられるようになる。1960年、22歳、美空ひばりと一緒に「つばなの小径・白い小ゆびの歌」を発表。同年、ひばりを抑えて初めて...

フランク永井「有楽町で逢いましょう」「星影のワルツ」(1966年3月24日発売)が1967年秋頃より大ヒット、ミリオンセラーとなり、1968年『NHK紅白歌合戦』に初出場する。1979年、1977年4月5日発売の「北国の春」が大ヒット、二作目のミリオンセラーとなり、第21回日本レコード大賞ロングセラー賞受賞。その他に「望郷酒場」「夕焼け雲」「味噌汁の詩」「津軽平野」などのヒット曲も生まれ、歌手としての黄金時代を迎える。沢 たまき ...

石原裕次郎  「夜霧よ今夜もありがとう」「銀座の恋の物語」「二人の世界」「夜霧よ今夜も有難う」などの数々のヒット曲がある裕次郎だが、『紅白歌合戦』には1957年・第8回に雪村いづみの応援ゲストとして出演したことはあるものの、歌手としては生涯出場しなかった。「歌は素人」という理由で毎年、歌手としての出場を辞退していたといわれている。 小林 旭  「さすらい 」1958年「女を忘れろ」で歌手デビューした。映画の『...

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