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      谷村新司さん 堀内孝雄さん ソロとしても大ヒットしましたが、やはり原点はこのアリスです。アリス 「チャンピオン」プロデビュー当時はヒット曲に恵まれず、メンバー三人とマネージャーの合計四人で運搬できる楽器として、矢沢は本来ドラマーなのに手荷物として持ち運びが可能なコンガを持って、谷村、堀内のフォークギター二本とともにツアーやライブに明け暮れる毎日だった。「今はもうだれも」のカバーヒットを...

             沢田研二(ジュリー)とは、スーパースターである。気だるさと中性的な独特の色気、甘い歌声で60~80年代の歌謡界を席巻し、数多くのファンを熱狂させました。「時の過ぎ行くままに」 同年8月21日に発売された「時の過ぎゆくままに」は5週連続オリコン1位、累計売上92万枚を記録し、沢田にとって最大のヒット曲となった。同曲は、沢田との仕事を熱望していた久世光彦が渡辺プロ...

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        森進一さんの歌の特徴は、何と言っても 搾り出す様な〝女の情感”           かすれた部分と清澄な部分が混在している            この人の右に出る人はいないそうです。「おふくろさん」元は普通の声であり、ルックスもいいことからポップス系でデビューさせる予定でスクールメイツ入りさせた。しかし個性が弱いとして、チャーリー石黒は売れるためには声を潰し、演歌を歌うしかないと森...

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   デビュー当時の藤圭子さん(18才)について、作詞・作曲家である猪俣公彰氏が昔     こんな事を云っていました。  「舞台に立った瞬間に、まるで何かに憑りつかれた様なゾッとする程の〝女の情念” を歌うんだ  なんだろう・・・凄い歌手が出て来たなと思いましたよ・・・」 つい昨日の事の様に思い出されます。  「圭子の夢は夜ひらく・命預けます」この年の藤圭子は、「女の...

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         前回【緑に向かって】1960年代で一番リクエストの多かった人が            この人 フランク永井さんでした。 「有楽町で逢いましょう」そごう社内での検討の結果、有楽町駅付近への出店が正式に決定したものの、有楽町の更なる活性化を目的に、1957年5月予定の「有楽町そごう」開店(2000年9月24日閉店)に際し、当時そごうの宣伝部長であった豊原英典以下宣伝部により「有楽町高級化キャンペーン」...

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もんた&ブラザーズ「ダンシング・オールナイト」1980年代(集計期間:1979年12月〜1989年11月)オリコンシングル売り上げランキング1位。累計売上は200万枚。年末には第11回日本歌謡大賞で放送音楽特別賞、次いで第13回全日本有線放送大賞で大賞を獲得。第22回日本レコード大賞でも金賞を受賞するなどの賞レースで数々の賞を獲得した。 長渕剛「順子 」 元々アルバム『逆流』の収録曲であった『順子』が、ファンからの熱い要望によ...

久保田早紀 「異邦人」この曲の元は、美しい並木で知られる国立駅前の大学通りの景色をイメージして書かれたものだった。「子供たちが空に向かい 両手を広げ …」という歌い出しは、歌詞作りに難渋していた久保田が、国立駅近くの空き地で遊ぶ子供たちの姿を電車から見て咄嗟に写しとったものである。本人も「そんな、ふとした瞬間に出来た曲が、ここまでヒットするとは思わなかった。」と語った。また本人はこの曲が発売されてから...

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