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夏目雅子1982年、『鬼龍院花子の生涯』の台詞「なめたらいかんぜよ!」が流行語となる。この映画では、当初彼女のヌードシーンはスタントを立てる予定であったが、「他の出演者の女優さんが何人か脱いでいるのに、自分だけ脱がないのはおかしい。私も脱いで演技します」と本人が希望した。そのため事務所の大反対を受けたが、説得に説得を重ね、本人がヌードになった。迫真の演技が話題になりこの作品でブルーリボン賞獲得。演技派...

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渥美清1968年、テレビドラマ『男はつらいよ』が放送開始。放送期間は1968年~1969年までの半年間。脚本は山田洋次と森崎東が担当した。最終回では「ハブに噛まれて寅さんが死ぬ」と言う結末に視聴者からの抗議が殺到した。翌1969年に「罪滅ぼしの意味も含めて」、松竹で映画を製作。これが予想に反し大ヒットとなり、以降シリーズ化となって製作の始まった山田洋次監督の映画『男はつらいよ』シリーズにおいて、主演の車寅次郎(フ...

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藤 純子(富司 純子)戦後日本映画界の生んだ最大のスターの一人。大監督に認められ、海外で賞を取り凱旋帰国…ではない。娯楽路線・任侠路線を突っ走る東宝入社。女ながらも、心ならずも緋牡丹の入れ墨を入れ、人を束ね、やくざな道を歩まねばならぬ、哀しみを秘めた美しさで一世を風靡した「緋牡丹博徒シリーズ」。ほどなく「源義経」の共演をきっかけに四代目尾上菊之助(現・七代目尾上菊五郎と結婚、梨園の妻となり、主婦業の...

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大学在学中から、俳優を目指し東宝と大映、日活のオーディションを受けるも全て不合格。しかし1956年に、映画プロデューサー水の江瀧子と兄・慎太郎の推薦があって、慎太郎の芥川賞受賞作『太陽の季節』の映画化の端役で映画デビュー。その後、慶應義塾大学を中退して日活に入社。『太陽の季節』に続いて製作された、同じく慎太郎原作の映画化作品『狂った果実』では、後に妻となる北原三枝を相手役に主演。その後は歌手・俳優とし...

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岸 惠子1953年から1954年にかけて映画『君の名は』3部作が大ヒット。主人公・氏家真知子のストールの巻き方を「真知子巻き」と呼んでマネる女性が出るほどだった(ちなみに北海道での撮影の合間に、現地のあまりの寒さに横浜で購入して持参していた私物のストールで耳や頭をくるんだ岸のアドリブである)以降、松竹の看板女優として絶大な人気を誇った。北原 三枝1954年に、活動を再開した日活に引き抜かれる形で移籍。女優陣のエ...

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三船敏郎黒澤が世界的な監督になるとともに、三船も国際的なスターとなり、日本では世界のミフネ、英語圏では、The WolfやThe Shogunなどと呼ばれ、世界中の映画関係者に影響を与え、尊敬された。 羅生門、七人の侍、用心棒、赤ひげなどで黒澤明とともにその名が世界中に知れ渡った三船敏郎は世界中からオファーが舞い込むようになる。海外からの出演依頼はものすごい数になったと言われており、共演を熱望するスターも多かったが...

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山口淑子(李香蘭) 日中戦争中には満映の専属女優として日本映画に多く出演し、人気を得た。人気俳優の長谷川一夫とも『白蘭の歌』『支那の夜』『熱砂の誓ひ』で共演した。1941年(昭和16年)2月11日の紀元節には、日本劇場(日劇)での「歌ふ李香蘭」に出演し、大盛況となった。大勢のファンが大挙して押し寄せ、日劇の周囲を7周り半もの観客が取り巻いたため、消防車が出動・散水し、群衆を移動させるほどの騒動であったと伝えら...

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上原 謙加山雄三の父親『愛染かつら』は俳優・上原謙の代表作といえる。1940年に吉村公三郎監督の『西住戦車長伝』では戦車隊長に扮して国策映画ながらも人間的側面を見せ、1943年の木下惠介の監督デビュー作で劇作家・菊田一夫の戦前の代表作である『花咲く港』で東北弁丸出しの軽妙なペテン師を演じて新生面を開拓する市川雷蔵トップスターとなる 。広一夫は、生い立ちにまつわる「人生の隠された部分」「地の部分」というべきも...

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